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シーラカンスは深淵をゆく

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1995年「年に一度の生きている証」

 以前、無用の長物として挙げるとしたら、年賀状がトップにランキングされる時期があった。世間の人はよくもまぁ熱心に年賀状を書くものだと、感心すらしていた。僕はその頃、年賀状の存在理由を見つけだすことができなかったのだ。

 僕が年賀状嫌いになったのは、あの誰に対しても同じような無意味な文を、何枚も書かなければならないことに他ならない。つまり、僕は気の利いたことを書くだけのセンスを持ち合わせていなかったのだ。当たり障りのない笑えるようなことを、書くことができなかったのだ。

 そんなわけで、僕は12月に入ると憂鬱になり、挙げ句の果てに年賀状というものを全く書かない時期があった。

 今はと言うと、年賀状の締め切り日には間に合わないものの、何とか印刷して送っている。取り立てて大きな心境の変化があったわけでもないし、突然年賀状のセンスが身に付いたわけでもない。たぶん、年賀状というものを必要に感じたことと、楽をする方法を見つけたからだと思う。

 年賀状の絵柄を、もし自分の今の状況に合わせて創ることができたら、それを後は印刷するだけでいいのではないか。この発想は結構自分の性格にあっていたらしく、今でも続いている。申、酉、戌、亥と4年間続いてきている。

 面白いことに、続けて何年も出していると、これまでの年賀状の意味あいもだいぶ変わってきた。

 年賀状を交換する相手の中には、卒業以来会ってない人もかなりいる。これからも会う予定などなく、今後お世話されたり世話することなど全くないと言っていい人とも年に一度交換している。そこで僕は感じた。年賀状というものは、年始の挨拶代わりのものであると同時に、何とか自分が生きていることを年に一度相手に伝える物ではないだろうか・・・。ある時期を共に汗水流して過ごしてきた仲間に、今も自分が健在であることを伝え合い、平凡な日常生活への活力に当てるのではないだろうか。そんな風に感じる。それがもし間違えならば、僕の年賀状を出す相手は、間違えなく半分もいらない。

 そして、僕はこれからも時間が許す限り、自分が生きている証になるような年賀状を出したいと思っている。
by musapoo-world | 2001-01-01 20:43 | 日々の生活

1987年に始まった「シーラカンス通信」の流れを汲み、自分を見詰め、自分の道を模索する、自己療養のささやかな試みだから、月に一度程度のものぐさブログ。


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