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シーラカンスは深淵をゆく

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素の声を聞きたかった、から始まって

半年ほど前の話だ。以前聞きほれた歌声を持つ人がどうなったか。そこから何を思い出し、何を考えたのか相変わらず支離滅裂で話しが飛んだりねじれたりしているけれど記しておく。

以前からケルト音楽が好きだったので、YouTubeなどで探してみたりしていた。そんなおり、とても澄んだ歌声の美しい女性ボーカリストを見付けた。映像はイギリス、ウエールズ地方の大西洋岸の風景が映し出されていた。それは海風に乗ってどこまでも響いていくような歌声だった。僕は魅了された。

2年ほどして、記憶と履歴を辿って探した。そして半年ほど前にたどり着いたのは、シックだけどゴージャスなドレスをまといエコーをガンガンに効かせてパーティで歌う彼女の姿だった。多くの人はそれを成功だと言うのかも知れない。夢の舞台だ。でも、僕はもうあの澄んだ歌声は聞けないのかも知れないと思った。

世の中には優れたものを持っている人がいる。そしてそれを見付けて世に出す人がいる。それから世に出されたものを見たり聞いたりして喜ぶ人がいる。そこまではスターがいてプロデューサーがいてファンがいるという構図で分かりやすい。でも、世に出すためには費用がかかるためそれに投資する人がいる。スポンサーだ。年々スポンサーの圧力が強くなってきているような気がする。まぁそれは投資した以上、損しないためにいろいろ口を挟んでくるのは分かるけれど、自分たちの好みに合わせようとするために本来のよさまで消し去ってしまう恐れが高いのだ。

あの女性ボーカリストは投資家達を喜ばせるために大切な物を失ってしまったような気がしてならない。

映画の世界では以前から興業成績という言われ方をして観客動員数を指標に用いてきた。ようはどれだけ儲かったかだ。映画を1本制作するためには莫大な費用がかかる。スポンサーが必要だ。そのスポンサーを満足させるための利益を上げるため努力がなされる。それはけっして間違ったことではない。

でも、時として(ほとんどの場合)芸術性を追求したい監督と、売れるものを作りたいスポンサーの代弁者的な存在となるプロデューサーとの間に対立が生まれる。それに楽してギャラを手に入れたい俳優陣がいて、できるだけ費用を抑えてやりくりしたいマネージャーの存在も絡んでくる。監督に圧倒的な力(何をどのように表現したいのか、そしてそれが世の中に受け入れられるという確信)があるならば周りは監督に従うだろう。でも、そうでなければ周りに流されてそれぞれの思惑通りの支離滅裂な中途半端な作品に終わるだろう。でも大丈夫。広告費用をバンバン使って興業成績を上げ投資した以上の利益を投資家は得られるだろう。

「巨匠」というのは、プロデューサーからもスポンサーからも、なにもかも任せられる極わずかな人たちのことを言うのだと思う。そしてそれは真の自由を手に入れた人たちだ。アニメの世界では確固たる地位を築いた宮崎駿氏は、「天空の城ラピュタ」を制作するにあたって資金を調達するために「風の谷のナウシカ」を連載した雑誌「アニメージュ」を企画販売した、という話しを聞いている。自らが企画して財源を確保し監督、制作・・・・。彼は自由を手に入れた数少ない一人だと思う。

歌の話に戻す。トップクラスのミュージシャンがアルバムを生み出すときに、プロデューサーと何度も相談して作ったという話しを目にする。素質を持った人と売れるものは何かを知っている人が協力して物を作る。悪くない話しだ。ただ、気をつけておきたいのは、ミュージシャンの色が薄くなりプロデューサーの色が濃くなったとき、それは芸術品ではなく商品になってしまっているということだ。聞き続けられるものなのか、ただ消費されるものなのか・・・。その真価を見極められるのは評判とか広告などに惑わされずに聞き取ることができる耳を僕たちが持っているかどうかにかかっている。

これは写真の世界でも同じなんだと思う。

というわけで、話しはとぶけれど、ネット時代がここまで進んでくると誰もが発信者(芸術家)になれるし、誰もがプロデューサー(発掘者もしくは編集者やキュレーター)になれるし、場合によっては投資家にもなれる。

サイトの運営費は持つから(=投資家)世界中のいい写真(=芸術家)をかき集めて誰もが見に来るようなサイトを作って(=編集者)広告収入をがっぽり稼ごうじゃないか・・・ってね。財を持つ人、優れたものを産み出す人、審美眼を持つ人、それぞれの才能を生かせるのだ。



でもね、多くの人がいいと思うような物は芸術じゃないんじゃないかと思う。どちらかといえば芸術性が高ければ高いほど多くの人に不可解に思われたり憎まれたり受け入れがたいものになっていくような気がする。だからネット時代では本当の芸術品は発掘されにくく、話題性だけの消費される商品ばかりがはびこる時代なのかも知れない。

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若い頃読みふけっていた漫画のなかに「悪魔に魂を売る」というような流れが何度も出てくる。悪魔とは誰か、それは商品にする人たち商売人のこと。魂とは何か、それは自分が表現したいこと。自分が売れて有名になりたいと思った時点で悪魔に魂を売る準備が出来たと考える。昨今の「いいね」や「Like」は悪魔の甘い誘惑に見えてしょうがない。

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優れたプロデューサー、キュレーター、編集者とは、売れやすくするために口を挟んで素材を加工するのではなく、よさを最大限に引き出す配列のし方や解説の付け方に優れた人たちだと思っている。それをするのはアレンジャーだ。

世の中分業の時代だ。

ただ、分業といってもそれぞれの力を兼ね備えた人たちも多いので、あえて類型化して話すのは分かりやすくするための便宜上の話しだ。






by musapoo-world | 2017-05-13 13:04 | 音楽について

1987年に始まった「シーラカンス通信」の流れを汲み、自分を見詰め、自分の道を模索する、自己療養のささやかな試みだから、月に一度程度のものぐさブログ。


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