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シーラカンスは深淵をゆく

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出雲と大和

大和が出雲を併合したのがいつの時代なのか定かではないけれど、古事記が編纂された政治的目的は出雲の神は元々大和の神と同じ流れであるという併合した拠り所を必要としていたからだと考えられている。だから古事記の編纂が始まった頃に併合されたのだと思う。

近年になってその歴史的信憑性が高まってきた出雲側の歴史書に当たる出雲風土記によると、出雲の国は親大和派と反大和派の二つに分裂していた。それを仲介して平和的に大和にほぼ対等の格付けで和睦に導いたのがどうやら僕の祖先「武芝」という男らしい。

大和に入ってからは人を懐柔する手腕を買われて東国に大和配下の一国を造る命を受け当時坂東と呼ばれた地に赴く。

国造りを成し終えた後、そこを起点に縄文の集落を大和化しつつ北上している。それは一族の姓を名乗る家が東北、北海道に多く分布していることから推察される。

大和と蝦夷の大きな合戦の記録はまだ知らない。蝦夷側はまだそれぞれの部族が別々に存在していた状態なので、一つ一つ大和化して行ったのだと思う。事実、縄文人の遺伝子は濃く残っているので部族の人々を虐殺して行ったのではなく同和し溶け込みながら北上を続けたと思われる。

それとは裏腹に、言い伝えでは一族の男子が早死にするとか分家として一族が繁栄していくということができないと言われている。それは多くの人の恨みを買っているからだ。姓を「胸刺」とか「矛刺」とか別の字で表された頃もあるようで、それが意味するところは「打ち首」とか「切腹」とは違う相手への尋常ではない仕打ちだったのかもしれない。

それ故、恨みを買い末代まで呪われている一族。とはいうものの全国に800軒ほど同性の家があし市内でも親戚関係では全くない同姓の御宅が二軒ある。だから繁栄はしなくともそれなりに存続し続けていることは確かだ。

ただ、うちから分家した親戚は男子がすでに絶えている。僕も宙ぶらりんの生活を余儀されている。21世紀に末代までの呪いに縛られるなんてフィクションの話のようだけど、実際の状態を見るとちょっと怖い話なのだ。
by musapoo-world | 2016-06-06 01:00 | ルーツを辿る

1987年に始まった「シーラカンス通信」の流れを汲み、自分を見詰め、自分の道を模索する、自己療養のささやかな試みだから、月に一度程度のものぐさブログ。


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